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ポルトガル写真集(宮殿ホテルのブサコ&天然水のルーゾ)
Portugal Photo Gallery --- Bussaco & Luso

宮殿ホテルのブサコ Bussaco

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ブサコ1
宮殿ホテル

ブサコ2
国旗

ブサコ3
ネオ・マヌエル様式

ブサコ4
装飾窓

ブサコ5
アズレージョ

ブサコ6
繊細な彫刻

ブサコ7
楕円の入り口

ブサコ8
神聖な場所

ブサコ9
素朴な十字架

ブサコ10
庭園からのホテル

ブサコ11
写り

ブサコ12
白鳥

ブサコ13
マヌエル装飾

ブサコ14
つたの小屋

ブサコ15
庭園

ブサコ16
大階段のアズレージョ

ブサコ17
階段のランプ

ブサコ18
赤いじゅうたん

ブサコ19
白いテラス

ブサコ20
レストラン

ブサコ21
クラッシックサロン

ブサコ22
庭園のテラス

ブサコ23
窓の光

ブサコ24
手入れの合間

ブサコ25
ぼくの家?

ブサコ26
くつろぐ

ブサコ27
ホテルの主

☆ブサコの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
コインブラから北へ約30km、豊かな自然に囲まれたブサコ国立公園がある。
古くから修行僧たちが修行を行う神聖な土地である。
17世紀には、ローマ法王によって女人禁制と定められた。
19世紀には、王室の管理下におかれ、王家の人々はこの森で狩猟を楽しんだという。
修道院の土地であっただけに、俗世間から完全に閉ざされていた。

天然水のルーゾ Luso

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ルーゾ1

ルーゾ2
ついてきた犬

ルーゾ3
天然水ルーゾ

ルーゾ4

ルーゾ5
標識

ルーゾ6
トリズモ

ルーゾ7

ルーゾ8
新旧

ルーゾ9
水を運ぶ

ルーゾ10

ルーゾ11
ペットボトル

ルーゾ12
小さな店

ルーゾ13

ルーゾ14
博物館入り口

ルーゾ15
じゅうたん作り

ルーゾ16

ルーゾ17
折鶴

ルーゾ18
黒猫

ルーゾ19

ルーゾ20
水汲み場のアズレージョ1927〜1955

ルーゾ21
水汲み場のアズレージョ1955〜1991

ルーゾ22

ルーゾ23
市場の陶器・1

ルーゾ24
市場の陶器・2

☆ルーゾの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ブサコの国立公園から、北へ2kmの場所にルーゾの町がある。
ミネラルウォーターで有名な町である。
町の中心には、泉の湧き出るサン・ジョアンの泉がある。
地元の人たちはポリタンク持参でやってきて水を汲んでいる。

「ポー君の旅日記」 ☆ 宮殿ホテルのブサコと天然水のルーゾ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・12≫
    === 第四章●大学の町コインブラ起点の旅 B === ブサコとルーゾ

       《ブサコ国立公園に行く》

ポルトガルに来て8日目の朝が来た。10月30日(月)、宿の窓から 見上げた空は昨日の快晴が一変してどんよりした雲で覆われていた。 モーニング付きなのに放棄して宿からバスターミナルまでの600m以 上もある距離をモンデゴ川を左手にして急ぐ。
 ブサコ行きのバスの出発が7時35分。これに乗り遅れると次は12時 半だ。4年前に泊まった宿アルメディナの前を通り過ぎる。ここの従業員 の女性達は優しかった。ポルトガル2回目の旅で緊張していたがあれこれ 相談に乗ってくれたからだった。で、今回もこの宿に泊まれば良かったが ポルトからバスでなしに列車で来たので駅に近い安宿ドムスにした。
 その懐かしの宿に寄り声を掛けたかったが残念ながらその時間がなかっ た。10分前にバスターミナルに息を荒げて着く。乗車券売り場は閉まっ ていた。7人が並ぶ人の中に日本人がいた。カメラのキャノンに勤める男 性だった。これからリスボンに行き日本に帰るといった。
 乗車券売り場が開いた。5分前だった。前に並び切符を買った日本人が お先にと声をかけてくれた。そして係のおじさんが言った。  「ブサコはバスの中で買って」と。 相棒と走った。『あんたら、なにやってんねん!』ポルトでお世話にな ったYUKOさんの声がだぶって響く。20mも走った。 発車間際にブサコ行きのバスに乗れた。 2人にとっては「なんでこうなるの、ジャンジャン!」という心境だっ た。 [バス代一人 2・98ユーロ(447円)]

 「けいの豆日記ノート」
 以前にも書いたことあると思うが、バスのチケットを買う場所にいつも迷う。 ローカルバスと高速バスの違いかとも思うが、その境目がよくわからない。 バスターミナルから出るバスとバス停からのバスの違いかとも思うが、そうでもないらしい。 遠くと近くの違いかとも思うが、どこからが遠くなのかわからない。 バスの運転手に聞けばいいのだが、待っている間にチケットが買えるのであれば、買っておきたい。 バスに乗ってしまってからチケットをバスターミナルで買うようにいわれて次のターミナルで買いに行かされたこともある。 バスターミナルのどこかに書いてあるのに、わからないだけなのだろうか。

 コインブラから北へおよそ30km先がブサコ国立公園だ。 バスはここでも貸切状態。3人しか乗っていなかった。もう一人はおば あさんだった。 進むにつれて森林が色濃くなっていく。 途中でおばあさんが撮影したお礼に差し上げた折リ鶴をヒラヒラ振って 見せ笑顔で降りていった。バス停に,LUSO(ルーゾ)とあった。

 バスは2人だけ乗せ自然林に囲まれたブサコに入った。杉、カエデ、樫 など見なれた樹木が茂り、20分ほど車窓を楽しませてくれた。 更にバスは急坂道を登り、木々に囲まれた宮殿みたいな建物の前で止っ た。 その建物が聖なる土地に建つ、パレス・ホテル・ド・ブサコだった。 時計を見たら8時半。宿でモーニングをガツガツ食べている頃だ。

 ポルトガルを代表するという国立公園の中にある建物は、繊細に彫り込 まれた石装飾が際立っていた。特に1階テラスにはマヌエル様式の飾り柱 が連なり、壁の腰周りはアズレージョ(タイル画)に彩られていた。この アズレージョがいい。紺色はあせることなく深みがあり、走り寄り抱き合 う兵士と長い髪に一輪の花をさした乙女の姿はタイル画というより繊細な 絵画を見る思いであった。
 その中は食堂のようだ。相棒が飾りの美しい白い扉を開けた。 うま−い!朝食の香りが鼻を突いた。今までのモーニングで経験したこ ともない美味い香りが鼻先を直撃した。相棒もポーも今まで知らない高価 なモーニングの香りに思わずクラクラした。モーニングを捨てて出てきた 今朝だからなおさらだ。 香りだけで足元がふらつく為体(ていたらく)だった。
 ツアー経験のない2人旅を今回も、こつこつケチケチ続けて来た。しか し、モーニングの香りに打ちのめさせられた。 ケチケチ旅を望み、一枚でも納得した写真を残したかったはずの旅だっ た。それが、相棒とポーの〈ポルトガルふれあい旅〉なのだと胸に納得さ せるしかない。 そんなケチケチ取材旅を続けてきた5回目のポルトガルだった。

 「けいの豆日記ノート」
 普通なら、ホテルの宿泊客でもないのに、ホテルの中には入れないと思う。 ちょうど、日本人の団体客が出発する時間だった。 入り口付近に日本人客がたくさんいた。 どさくさにまぎれて、中を見学させてもらった。 まぎれなくても、見学させてくれたようだったが。 さすが、高級ホテルのモーニングは、おいしそうだった。 バイキングのおかずの種類も多く、デザートもふんだんにある。 建物も立派で、もちろん内装も家具は、一流品ばかりだ。 あまり時間もないので、有名なアズレージョの大階段だけは、しっかりと見ておいた。 ツアーとかの場合、リッチなホテルに泊まれたりする。 それがツアーの売り物だから、高級ポサーダにも泊まれる。 うらやましくも思ったりするが、自分の好きな旅をしたいので、あくまケチケチの旅だ。

 この建物は、かつては離宮だった。 ポルトガル最後の王であるマヌエル2世が1907年に建てたがその直 後王政が廃止。その後、5星のホテルになったのだ。 この地の歴史を聞いて驚いた。古くは17世紀、女人禁制の修道院の静 養所であり、この聖域である森林をコインブラを目指したナポレオン軍と ブサコ峠でイギリス・ポルトガル連合軍が一戦を交え激戦の後、勝利。 そして離宮になり、ホテルになる。 そんな歴史的な聖域に2人は立っていた。
   エントランスを入ると2階に昇るゆったりした階段があった。 その右の高く広い壁面は壮絶なアズレージョで飾られていた。ポルトガ ルによる戦場〈セウタ攻略とインド攻略〉だという。保管管理がいい。 その青々とタイルに焼き付けられている絵模様は壮観絶句の出来映えだ った。はためく十字マークの旗が風に揺れて美しい。

 庭園も手入れが行き届き見ごたえがある。池も計算された大きさで庭園 全体の比率にマッチしているように思えた。 長閑な空気が流れていた。どんよりした雲が残念ではあったが・・・。 でも、2時間以上も相棒は歩きまわり、こつこつ被写体を追っていた。 離宮からルーゾに歩いて行くと相棒。10時半だった。同意した。 バスは午後3時20分までなかったからだ。天気も悪いしバスが来るま での5時間は長すぎた。
 〈一日二万歩撮影取材旅〉が目的のポルトガル旅だ。歩くのに抵抗はな い。歩けば人に会える。その出会い旅が目的でもあった。

 「けいの豆日記ノート」
 曇り空は、いまいち撮影意欲がわかない。 雨よりは、いいとは思うが、ぬけるような青空を知ってしまうとやっぱ、青空がほしい。 建物は、マヌエル様式の豪華な装飾で、撮りだしたらきりがないかとも思う。 庭園の白鳥だけでもあきなかった。 でも、ここは、豪華ホテルしかなく、人物がいない。 ルーゾの町にいけば、人がたくさんいるに違いないと思った。 それに、ミネラルウオーターが出る町を見てみたかった。

       《ミネラルウオーターのル−ゾに行く》

 かつての離宮(いま、ホテル)に別れを告げ、森林の道を下った。 小鳥の鳴声が頭上で鳴く。木の葉の摩擦で風の音を聞く。先導者はホテ ルにいた茶色の2匹の犬だった。由緒ありげな巨大な鉄扉を出た。来ると きバスが登ってきた道を相棒の記憶でくだった。  犬達はすぐ離れて帰っていくだろうと思っていたが、ルーゾまでの1時 間余りついて来た。ご苦労さま。守ってくれてありがとう!とポーは声を 掛けた。
 ルーゾに着くまで人には出会えなかったが、素晴らしい水先案内犬だっ た。ルーゾは小さな町であったが小奇麗な家並みが続いていた。その家並 みの中にトリズモ(観光案内所)を偶然見つける。洒落たレイアウトで飾 られ、係の女性も優しい対応をしてくれた。地図と資料をもらう。相棒は、 お礼にいつもの感謝の折り鶴を。
 そして、地図を見て、ここでも相棒の雄叫びだ。 歩いてきた道は車道で、右に左に大きく曲がりくねっていた。車道を通 らなければ直線的に下ってル−ゾの町に入れた。20分で下って来れた距 離だったのだ。トリズモは旅人にはありがたいオアシスだが、その現地の 地図しかもらえない。欲だが、他の地の地図ももらえるとありがたい。

 「けいの豆日記ノート」
 道は、1本道であった。曲がってはいたが迷うことはなかった。 車道をどんどん下っていくだけだった。 下のほうに、町らしい家並みが見えた。 そこに向かって歩いていった。 途中、歩く人には、ひとりも会わなかった。 まさか、歩く道があるとは思わなかった。 途中、細い道もあったが、変なところにいって迷子になると困るので、広い道を選んだ。 地図があればなあ。

 こじんまりとした広場が左手にあり、平屋のスーパーの店先に花が並んで いた。日本でよく見る菊の花だった。白、黄、紫色の小菊だ。その光景に何故か胸が熱く なったポーだった。菊がポルトガルでも、日常生活に溶け込んでいたから かもしれない。
 大きなペットボトルを両手に下げたおじさんが歩いてきた。その後ろか らも若い女性が左右2個づつのペットボトルを重そうに運んで来る。 この先で涌き出るミネラルウオーターを汲みに来た人達だと知った。
   「ここの水は昔からかれることがないミネラルウオーターだ」とおじさ んは自慢気にいう。確かにコインブラのスーパーでも、ルーゾウオーターと してペットボトルで売っていた。
 おじさんの来た道を進むと水汲みに来ている人々が順番待ちで並んでい た。一人が1本2本ではなかった。ひとりで30本も汲んでいる人もいる。 こんこんと涌き出るミネラルウオーターは10mほどのコンクリートで 密封された円形の水汲み場になっていて、蛇口が10ヶ所近くついていた。 その円形の上に昇ると強化ガラスになっていて、石ころが敷き詰めた中 から水泡と共にミネラルウオーターが涌き出てくるのが見える。
 アズレージョがあった。水汲み場の歴史が描かれたタイル画だ。 そのタイル画の最後のアズレージョが、1955−1991までのここ 姿が水彩画みたいに鮮明に描かれていた。 〈奇跡の水〉を求めて集まる人々の姿は、いま目の前で展開する人々と 同じ光景だった。まるで、時代を映し出す写真みたいなアズレージョの記 録だった。

 昼時だった。朝飯も食べていない。もう、腹はぺこぺこ。腹、鳴った。 ルーゾは小さい町といったが、資料によると金持ちの温泉地から観光地に 変わった町で、かつては寒村だったという。その辺ぴな寒村が有名になっ たのは、鉱泉が作り出したミネラルウオーターだった。
 小さな村の中央広場に面したレストランに入り、相棒が2品注文した。 ポークのポルトガル風とサラダだった。勿論、一品ずつだ。それにプリ ンとビール。サラダが絶品の当りだった。冷たいでっかいメロンに大きな 生ハムが巻きついたサラダだ。 食べて相棒が、唸った。ポーも1口もらって食べたが3ユーロ(450 円)では、食べられない美味いサラダだった。 でも、こんなサラダってはじめてだ。

 「けいの豆日記ノート」
 サラダだと思ったのは、日本でいう「生ハムとメロン」であった。 広場に面したレストランは、わりと高級なレストランだったらしい。 サラダと頼んだつもりが、メロンであたりなのか、はずれなのかわからなかった。 メロンは、甘くておいしかった。 それから、スーパーにいくとメロンの半分売りを買うようになった。 水は、すぐそこにミネラルウオーターが飲み放題なのに、ここで頼むのは、ばかばかしかったので、かわりにプリンを頼んでみた。

 町の中心地に大きなモニュメントが雲間からこぼれて来た陽射しにキラ キラ輝いた。  球状に造られた素材は1000個以上のペットボトルだった。その広場 には手作りの籠や装飾品、菓子などの店が15軒ほど並び、店の女性は店 先で手編みの絨毯を織り込んでいた。 その姿をカメラに収めていた相棒が、青空が少しづつ顔を見せ始めた空 を見上げ言った。
 『ブサコへ戻ろうか、ポー』  相棒はバス停に走った。時刻表を調べる。
 14時30分に、バス停もないブサコの離宮(今、ホテル)からコイン ブラ行きバスがあることを確認する。 そのバスが折り返して来るまでここで待てば1時間半もうろつかなけれ ばならない。それなら、5分待てば離宮行きのバスが来るのでそれに乗れ ば青空を背景にした離宮が再撮できると、相棒が判断した。これで、決ま りだった。相棒の青空に対する執念だった。

 「けいの豆日記ノート」
 青空が見えてきた。 曇り空より、青空のほうがいいにきまっている。 バスの時間もあるし、ブサコに戻ることにした。 バスがなかったら、山道を歩いてでも行こうかとも思った。 せっかく来たブサコだ。 今度、いつこれるかわからない。 一生 来ることがないかもしれない。 ブサコまでは、すぐだった。 抜けるような青空にはならなかったが、光が差していた。 雲が多くて、太陽が見えたり隠れたりだったが。

      《ふたたび、ブサコの離宮に行く》

 10分後バスが時刻表より遅れて来た。 20分後(今、ホテル)離宮の前でバスを降りると、ルーゾの町まで案 内してくれたあの茶犬2頭が尾を振って迎えてくれた。彼らは野犬だと通 りかかった庭師が教えてくれた。野犬でも賢い奴らで観光客にも人気のア イドルだとも教えてくれた。  そう聞いては相棒も人情家。感謝のシャッターを彼らに連射した。 彼らは(いいから、いいからさ。気まぐれで散歩がてらに行ったまでよ) と言わんばかりに欠伸ひとつ大きく吐いて、テラスの通路に長く寝そべる。 でかい身体の犬たちだった。
 離宮の背景は、青空が広がっていた。 相棒が舞い戻って撮りたかった世界が陽射しの中で再現されていた。建 物の前にある池には1羽の白鳥がゆったり散策を満喫中だ。 嬉々とした相棒のシャッターが鳴り続けた。太陽のプレゼントだった。

ホテルの建物前にたなびく各国の旗の中に日本の旗もあった。その前が バス停らしい。スーツを着た男性とリュックを背負った女性がいた。 我々も仲間入りして、コインブラ行き14時30分発のバスを待った。 待てど暮らせど、そのバスが来ない。 陽射しが強く木蔭を捜す。相棒は石段に座り居眠りだ。音と言えば大木 の葉っぱを通りすぎる風音だけ。長閑(のどか)なバス待ちの時間が流れ ていた。
 40分遅れてバスが来た。乗客は4人。コインブラまでの50分ほどを 相棒は眠り続けていた。眠る子は育つ、と言うが相棒は育ちが遅い。眠る わりには育たない。(年だから、眠っても無理なのか・・・・・)

 「けいの豆日記ノート」
 バスの来る時間がすぎてもバスが来なかった。 バス停もどこなのかよくわからない。 ひとり、大きなバックを持った男性がホテル横の向かいで立って待っていた。 ひょっとしてバス停はここなのか。 他にもうひとり、ホテルの影で座っていた。 とりあえず、この辺にいれば、バスがくるのが見えるだろう。 座れる場所は、ホテルの横の石段しかない。 待っている人がいるということは、バスは、来るのであろう。 いつくるのかわからないので、その場を離れられない。 写真を撮ることもできなかった。
 石段に座り、眠りかけたとき、バスは来た。 あわてて、走った。 大きなバックを持っていた男性の場所がバス停だったのだ。 その人は、ずっと立って待っていた。 だから、バスは、止まってくれたのだ。 だれもいなかったりするとバスは、素通りしていってしまう。 石段に座って居眠りしていたのでは、バスの運転手は気がつかなかっただろう。 これに乗り遅れるとあと3時間は、バスは来ない。 40分も立って待っていてくれた人に感謝である。

       《コインブラの遅い午後》

 バスターミナルの時計は16時を過ぎていた。 この時間は朝と同じくらいバスで混み合っている。バスの出入りが激し い。一日の終りが近づいてくる雰囲気だった。 宿に帰る道を今朝ひッしこいてバスターミナルに向かった本通りより1 本裏の路地を選んで宿に帰った。 生活する人達に出会えるかも知れないという相棒の判断であった。 遅い午後の陽射しが路地の白壁を反射させて、人々の姿を柔らかく包ん でいる。
 コインブラの気候は名古屋の気候と似ていた。 10月の末と言えば寒い日もあれば、ホッとする陽射しの日もある。 でも、今年は世界的に温暖化のせいかもしれない。コインブラでも夏 みたいな陽射しが続いていた。 その路地は日本的には紅葉の真っ盛りの頃だがその気配はない。 名古屋の香嵐渓の紅葉の色合いがポーの中で弾けていた。 この路地には紅葉の光景はなかった。 ブサコの庭園では緑の葉が黄色に染まる木の葉があった。ポルトガルに も秋がやって来るんだと相棒がシャッターを切っていた。 路地を動き回る人々が相棒のシャッターの標的だった。

 店先に並んだ菊の花がある八百屋店に相棒が吸いこまれた。  葡萄を買った。粒が大きく巨峰みたいだ。みずみずしさがあふれた葡萄 は500グラムで0・77ユーロ(115円)だった。相棒の顔が輝いて いた。この地に住みたくなるほどの安さと量の多さに感動していたのだ。 歩きながら2つ3つと口の中。宿に戻るまで葡萄は残っているだろうか。
 万歩計は22174歩だ。歩いたわりには素敵な出会いが少なかった。  こんな日もある。でも、充実感が駆けめぐった1日だった。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2008年9月掲載

掲載済み関連写真===≪ポルトガル写真集≫2006年版旅日記
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