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(白砂の海岸のフィゲイラ・ダ・フォス)
Portugal Photo Gallery --- Figuelira da Fos

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フィゲイラ・ダ・フォス1
ひまなレストラン

フィゲイラ・ダ・フォス2
町の教会

フィゲイラ・ダ・フォス3
祭壇

フィゲイラ・ダ・フォス4
闘牛場入り口

フィゲイラ・ダ・フォス5
闘牛場

フィゲイラ・ダ・フォス6
分かれ道

フィゲイラ・ダ・フォス7
看板

フィゲイラ・ダ・フォス8
消防署

フィゲイラ・ダ・フォス9
カモメ飛ぶ海岸

フィゲイラ・ダ・フォス10
白砂の海岸

フィゲイラ・ダ・フォス11
海岸のオブジェ

フィゲイラ・ダ・フォス12
日暮れ前

フィゲイラ・ダ・フォス13
海の見える場所

フィゲイラ・ダ・フォス14
校門前

フィゲイラ・ダ・フォス15
昼休み

フィゲイラ・ダ・フォス16
仲間

フィゲイラ・ダ・フォス17
通学路

フィゲイラ・ダ・フォス18
夢中

フィゲイラ・ダ・フォス19
何の遊び

フィゲイラ・ダ・フォス20
楽しい幼稚園

フィゲイラ・ダ・フォス21
のぞく子供たち

コインブラ===コインブラの常設市場

コインブラ61
市場

コインブラ62
市場の八百屋

コインブラ63
市場の花屋1

コインブラ64
市場の花屋2

コインブラ65
市場の魚屋1

コインブラ66
市場の魚屋2

コインブラ67
ワイン店

コインブラ68
熟睡

コインブラ69
ざこね

☆フィゲイラ・ダ・フォスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
コインブラの西、モンテゴ川が大西洋にそそぐ北海岸に位置する町である。
ポルトガルのリオ・デ・ジャネイロと呼ばれている夏のリゾート地である。
長さ3kmにおよぶ白砂の美しい海岸が魅力となっている。
かつては、色鮮やかな漁船が並んでいた。
今は、夏のバカンスシーズンになるとリゾート客で埋め尽くされる。
逆に冬は、冬眠したかのように閑散としている。

「ポー君の旅日記」 ☆ 白砂の海岸のフィゲイラ・ダ・フォス ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・13≫
    === 第四章●大学の町コインブラ起点の旅 C === ファゲイラ・ダ・フォス

          《市場は菊の花ざかり》

 霧がモンデゴ川から流れてコインブラの町を覆った朝だった。 その中を宿から曲がりくねった石畳の路地を抜け、5月8日広場を通り 越して朝の市場に向かった。 頭の上に白菊の花束をのせたおばさんに相棒がカメラをむけるとポーズ をとって微笑んだ。
 『オブリガ−ダ!(ありがとう!)』と相棒。ポーはお礼の印〈折り鶴〉 を渡す係だ。今日の1羽目は愛想のいいおばさんから始まった。

 10月31日(火)の朝は肌寒い朝だった。 モンデゴ川から発生した薄い霧が町に漂(ただよ)っていた。 質素なモーニングを食べながら、昨夕調べておいた河口の町フィゲイラ・ ダ・フォス行きの列車まで1時間20分あることを 相棒は確認した。
 フィゲイラ・ダ・フォスはコインブラの街中を流れるモンデゴ川の下流に ある河口の町であり、大西洋での海水浴を楽しむリゾート地としてコインブ ラの住民にも親しまれている避暑地だと、宿の娘が教えてくれた。 しかし、町の資料も地図もなかった。現地のトリズモ(観光案内所)で もらうより仕方がない。
 『ポー、行くぜ! 朝市!』 相棒は椅子から立ちあがっていた。

 「けいの豆日記ノート」
 どこの町にも市場はある。 常設市場は、建物の中なので、1日やっていることが多い。 でも、活気があるのは、やはり朝である。 午後になると人もまばらで面白くない。 前回の旅では、市場を見ることができなかった。 なので、今回は、見ようと思った。 人がたくさん集まるところには、行かなくては・・・

 朝の市場は大盛況だった。 正面2階建ての壁面にMERCADO MUNICIPAL(市の市場) の青い文字が浮かび、正面入り口からは菊の花を抱えたおばさん達が出て くる。その抱えた花束に驚いた。一抱え100本以上もあるからだ。 そんなに買いこんでどーするの?と思うほどの量なのだ。 入り口を入ったところ一帯が花屋さんで、白、橙、黄色などの菊がまさ に花盛り状態に並べられていた。ポルトガルでも菊が今、旬のようだ。
 朝から抱えきれないほどの菊を買いあさるおばさん達の異様な光景。 その現場を目の当りにした相棒のシャッター回数。 シャッターを切る相棒の胸の鼓動がポーにも伝わってきた。 日本では撮れない情景であった。 その疑問は残念ながらポーのポルトガル語会話では取材できない。 おばさん達にアタックを試みたが判らなかった。悔しい。

 奥に進むと果物や野菜などの植物から動物売り場になった。肉や魚だ。 特に魚は豊富だった。 ピンクが美しい鯛、色鮮やかな鯵、銀色に輝く太刀魚、腹の真っ白な平 目、緑鮮やかな鯖、蛸(たこ)に烏賊(いか)、それにポルトガル料理に 欠かせない鱈(たら)の干し物などが山盛りだ。
 細長い吹き抜けの店内の2階から俯瞰を撮る。その通路で黒マントを着 た大学生が3人のびていた。ワインの飲み過ぎのていたらく姿だ。夜遅く まで宿の前の路地を酔って奇声を上げていた学生達がいたが、その一団か もしれない。
 『ポー!時間がない!駅に急ごう!』 相棒の雄叫びだ。列車発車まで20分しかなかった。

 「けいの豆日記ノート」
 朝の市場は活気があった。 特に花屋のにぎわいはすごいものがあった。 今まで、市場で花屋というのは、隅っこのめだたない場所でひっそりとしていた。 ところがコインブラの市場は、花屋がメインのようで、入り口すぐが花屋だった。 菊の花をメインにして、山盛りの花だらけだった。 2階建ての市場は吹き抜けになっている。 2階から下の店がよく見えた。 市場は、やっぱ活気がないとね。
 2階のカフェで新聞で作ったカブトをかぶった学生がいた。 朝から、酔っ払っているようだった。 通路には、寝ている学生たちがいた。 その中には、女性もいた。 夜からいるのだろうか。 市場は開いていたのか? しばらくそのまま寝ていたが、さすがに係員に起こされた。

          《大西洋に面した町フィゲイラ・ダ・フォスに行く》

 走りに走って息絶え絶えで、10時02分の列車に乗れた。 真っ赤な天井に真っ赤な座席に倒れこんだ。 コインブラ駅から発った列車は10分ほど走ってコインブラB駅で25 分も止まって動かない。対向列車待ちなのかもしれない。乗客は静かに待 っている。何時ものことなのだろか。車内は4割ほどの乗客で埋まる。多 い方だった。
 車窓は農地と沼とオリーブ畑とこじんまりした町を1時間ほど走り抜け ていった。コインブラB駅で待たされ、列車がゴトンと動き出したら相棒 は眠りに入っていた。走り出した列車の振動が相棒の眠りの波長と合体し たのだ。(列車だけではない。バスに乗ってもすぐ波長が合体した)

 フィゲイラ・ダ・フォスは簡素な駅舎だった。 駅舎を出ると前方河口にはヨットハーバー、右手には広々とした芝生が 広がっていた。広い空は薄雲に支配されていたが明るい。 ヨットハーバー沿いを直線的に進めば大西洋だと、相棒が踏んで歩き出 した。素直に後を追うのはポーだった。

 まず、トリズモ(観光案内所)を捜して地図と資料をもらうのが先決だ、 と言っても手元に地図がない。相棒の頭の中の勘ピュ−ター地図で進んだ。 そこに、天使が現われた。 180cmもあろうかリックを背負った少年2人に相棒が声をかけた。 15歳の学生だった。
 『トリズモは、何処?』 と、聞いた相棒に彼らは話し合い、「日本の人?」『そうよ!』
 「初めて会えたよ、日本人に!」『日本人って、はじめてなの?』  「そうだよ!」『ありがとう! 嬉しいわ』
2人の少年はブラジル系3世だと言った。 これから昼飯を家に帰って食べ、また午後から学校に行くという。
 建物が並ぶ町まで30分もかけ案内してくれた2人の少年に感謝して 『オブリガーダ!ありがとう!』と〈折り鶴〉を渡した。 少年達の黒い瞳がキラキラ輝いた。
 「なに?」『折り鶴』「オリツル?」『そうよ、折り鶴』「オリツル! オリツル!」2人の少年は連呼して喜び、指差した。
 その先に〈トリズモ〉があった。

 「けいの豆日記ノート」
 「フィゲイラ・ダ・フォス」の町は、2003年度版のガイド本には、載っていた。 でも、その後のガイド本から、なくなってしまった。 リゾート地なので、人気がなかったのか、他の新しい町を載せたせいかは、わからない。 以前の本に載っていたことから、今回行くことにした。 でも、ガイド本は、新しいものを持ってきてしまった。 なので、地図がなかった。 うろ覚えの勘で、海のほうに歩いていた。 トリズモは、駅のそばにあるといいのに。
 大きな少年ふたりは、ほんと親切だった。 貴重なランチタイムを道案内に使わせてしまった。 これだけ歩いて案内してくれたのに折鶴だけでよかったのだろうか。 日本に帰ってから、学校にお礼の手紙を書こうかと思ったほどだ。 名前くらい聞いておけばよかった。

 美しい町だった。想像していた以上の広さであった。トリズモでもらっ た地図が役立った。  まず、町の散策前に昼飯だ。 シーズンオフの時期だった。海水浴の避暑地に10月31日だ。観光客 もいないし、コインブラの人々やポルトガル各地から避暑にやってくる時 期でもない。 だから町はひっそりしていた。デザインが綺麗な石畳が堪能できるほど 人の歩く姿がない。観光客は相棒とポーだけだった。
 レストランの前で親指を立てウインクするコック姿のおじさんがいた。 看板だった。相棒が看板の横で同じアクションをした。 おじさんとおばさんのツーショットだった。そう言ったら、相棒に殴られた!

 石畳の路地を曲るとピンク色の建物が目に飛び込んできた。 〈康采飯店〉は朱色門構の大きな中華店だった。店内は広く天井の飾りも 目を引いた。こんなに広い店が夏の避暑シーズンには満席になるのだろう。 客は、相棒とポーだけだった。 春巻き、チキンとビーフの炒め物は美味かったがチャーハンは不味くて 食べられなかった。
 ポーは不味ければ食べない。相棒はもったいないと言 い無理しても食べる。その相棒もチャーハンは1口でやめた。相棒は怒り 気味に不満顔だ。 旅を続けると食い物に関しては1円も無駄にしない〈ケチケチ撮影取材 旅〉にも、ポカはある。それが、いい。 でも、17ユーロ(2720円)は夕食抜きになってしまう値段だった。

 「けいの豆日記ノート」
 シーズンオフのレストランはどの店も空いていた。 人がいないのだから、しかたがないことかもしれない。 店が開いていただけ よかったのかも。 中華店はどの町にも1軒はある。 中華といっても日本で食べるものとは違う。 どの店にいっても、同じようなメニューである。 野菜炒めにヤキソバが入ったのが安くていいかもしれない。  昔は、ポルトガルは日本の6掛けくらいといわれていた。 今は、ユーロが高いので、どこにいっても安くはない。 日本のランチが安いこと、しみじみ思う。

          《神秘的な教会と闘牛場》

 地図を見ても、大西洋の他には名所らしきところがない。 こんな時には歩くのみ。歩けば、何かに当る。犬も歩けば棒に当る。そ れしかない。それを信じて歩いた。 まず、教会に当った。教会には今まで5回のポルトガルの旅で150以 上は入っている。その地方その地域その場所で、それぞれの顔があった。
 きらびやかな装飾に飾られた中世の香りそのままの祈りの場だったり、 質素だが厳粛な雰囲気があったり、神秘的な輝きに満ちていたり、天窓か らの日差しに浮かび上がる金色の祭壇に吸いこまれたり、ステンドグラス の色合いが虹のように室内の壁や柱を移動して投影される美しさに痺れた り、蝋燭のぼあーとした明りの中で雨音が聞こえてくるなか祭壇の金色に 浮かび上がるキリスト像に祈るお年寄りの姿だったり、子供達の歌声がパ イプオルガンに乗って響き渡る日曜日の午前中だったり、真っ白い衣裳に 身を包んだ新婦が新郎にキスを受け頬を染めていたり、祭壇全体が黄金色 に細かい彫刻で刻まれその中央に首を右に傾げたキリストの顔に心を奪わ れたりとそれぞれの教会には、それぞれの思い出が残り今も消えない。
 ここの教会は祭壇中央にキリスト像はなく祭壇の右端に置かれ、中央に ははっきりわからないが女性像があった。子を抱くマリア姿でもない。 キリスト教にも詳しくないが不思議な祭壇であった。誰もいなかった。

 教会を出ると子供達の声が流れてきた。 当然のように相棒の足は声に誘われ早足になる。ハイスクールと幼稚園 が狭い道を挟んで並び、休み時間で学生達が道にあふれ、幼児たちは鉄柵 で囲まれた中で遊んでいた。
 カメラを向けると学生達はおどけたポーズで応え、幼児たちは愛くるし い笑みを弾けさせ走り寄ってきた。 そして相棒に向かって「セニョーラ ジャポネーザ?」と聞いてくる。 どうして、日本人だと判るのだろう? それがポーには不思議だった。 トリズモを案内してくれた少年達も日本人に会えて嬉しいと言ってくれ た。初めて日本人に会ったとも。皆、素敵な笑みをいっぱいにして。その 親しみを嬉しく思いながらもポーにはそれが不思議であった。

 「けいの豆日記ノート」
 ポルトガルに、中国人はたくさんいる。 ほとんどが商売をしている人たちだ。 中華料理店とか、雑貨店とか、中国系の店は多い。 雑貨店は、日用品から洋服までいろいろなものが安く売っているが品質がいまいちかもしれない。 だから、中国人は、見慣れているのだと思う。 日本人も中国人も同じような顔だが、観光しているのは、日本人だと思う。 それに、カメラをぶらさげているし。 日本のニコンは、高級カメラだと思われているようだ。 商売上手な中国人は嫌われているらしいが、日本人には友好的である。 あまり見たことがないという、めずらしさもあるのかもしれないが。

 10mもあろうか、高い丸みのあるコンクート打ちっぱなしの塀状建物 が路地の先に現われた。 もらった地図を見た。闘牛場のようだ。首都リスボンでも見たアラブ風 の闘牛場よりずっとずっと小ぶりだった。 4mはあろう赤茶色の門扉があり、その上に闘牛が描かれその下に 〈COLISEU FIGUEIRENSE 1895〉と赤色で書かれ ていた。1895年に建てたフィゲイラ闘牛場ということか。 その門の右下に真っ赤なスクターが止めてあった。それが絵になると相 棒がシャッターを切った。 闘牛のシーズンは5月から10月までと聞く。10月最終日の今日はも う終っていた。
 『中を見たいなー!』 スクータ−があるから誰かいるはずだ、と相棒。 4mはある扉の左下にくぐり戸の扉があった。そのノブを廻したら戸が 開いた。
 『入ってみようか、ポー』 相棒が先に入った。(写真家は好奇心の固ま りであった)
 『誰か、いませんかー!』 相棒は日本語で連呼した。返事がない。
 『ボア タールデ!!』こんにちは!も連呼した。返事なし。 5mほど進むと、円形状のスタンドが目前に飛び込んできた。 はじめて見た闘牛場だった。レンガ色のフェンスの下は芝生が色鮮やか に敷き詰められていた。外観より思ったより広いのにポーは感動した。 ここで闘牛士と闘牛の死闘が繰り広げられ、熱狂する観衆の声がスタン ドにこだまするのだ。ポルトガルの闘牛は牛を殺さないと聞くが迫力には 差はないはずだ。見たかった。 10分ほどの観覧であった。 誰も現われなかったが相棒は『オブリガーダ!』と大きな声を出して闘 牛場に礼を言って、くぐり戸から出た。

 「けいの豆日記ノート」
 闘牛場は、リスボンで見たことがある。 2回目の旅で、闘牛場の近くのホテルで泊まったことがある。 なので、出かけるだびに闘牛場の横を通っていった。 外装工事をしていたのを覚えている。 夏場しか闘牛をしないので、見ることはなかった。  スペインとポルトガルの闘牛の違いを聞いたことがある。 スペインは牛を殺すが、ポルトガルは殺さないという。 国民性の性格の違いなのだろうか。 でも、結局、終わった後に牛は殺されるらしい。 牛肉はありがたく食べよう・・・

          《広大な砂丘》

 お目当ての大西洋に向かう。 海岸通にはホテルが乱立し避暑地の雰囲気があった。 曇り空に薄日が差し込んだ海岸に出たが、大西洋の海は見えなかった。  砂丘が180度目前に広がり、板敷きの通路が3ヶ所海に向かって伸び ている。その幅2mほどの板敷きを進む。100mほど歩くと板敷きは終 る。そのはるか先に歩く2つのシルエットが豆粒のように見えた。狭い帯 状に輝く海もかすかに見える。あそこまで行けば大西洋なのだ。 150mはあろうか。砂丘に下りた。足元が鈍い砂音をたてて潜る。
 『やばー!』久し振りの相棒の雄叫びだ。  靴が潜った。1歩1歩、靴の中に砂が入り込まないように歩くには難儀 しそうだ。でも、砂の質はヨーロッパの避暑地と言われる〈ナザレ〉の砂 と同じような美しさがあった。日本で言えば石垣島から渡った竹富島の海 砂に似ていた。しかし、さんご礁ではないので星砂は見当たらなかった。 何百羽と数え切れない程のカモメの大群が砂丘をひと山越えたところに 黒い塊になっていた。怖いくらいの数であった。そのまま向かって飛んで くれば、ヒッチコック監督の[鳥]の世界だ。飛んで来ないことを祈りなが ら海に向かう。
 日差しが大西洋を射っていた。 そこだけが温かい日溜りのようだ。 群れていたカモメがいっせいに飛び立った。その向こうに避暑地のビル 群が小さく連なって見えた。 相棒がビニール袋に波打ち際の砂を詰め込んでいた。 また、ナザレの海砂と同じように、宝物となって自宅の窓辺にビン詰と なって並ぶに違いない。

 「けいの豆日記ノート」
 天気がいまいちであった。 夕焼けがでるのを期待していたのだが、ダメだった。 大西洋に沈む夕日が見たかったな。 夕日は、晴れていてもでるとは限らない。 まして、こんな天気では、無理だろうとは思っていたが。 あと帰国するまでの一週間の間に、 1回くらいは、見てみたいなあ。

 エンジンのかかった列車に飛び乗った。午後5時50分発。 コインブラB駅もすんなり通過してコインブラ駅に7時に着いた。 駅舎を出た石段に今日も黒マントの男子学生と黒スーツの女子学生達が たむろしていた。今夜も深酔いした学生達に宿の前の路地を占領されるの か。それも、その時期しか遭遇できないのだから思いでとして楽しむしか ない。青春って長い人生の中で一回しかないない宝なのだから許す。今夜 もまた市場の床で眠り給え!

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2008年10月掲載

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