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(大西洋の真珠・フンシャル 1)
Portugal Photo Gallery --- Funchal 1

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フンシャル1
ヨットハーバー

フンシャル2
豪華客船

フンシャル3
デッキ

フンシャル4
ポルトガル銀行

フンシャル5
街角

フンシャル6
メイン通り

フンシャル7
オープンテラス

フンシャル8
緑のジャカランダ

フンシャル9
夕刻おメイン通り

フンシャル10
斜陽

フンシャル11
夕刻

フンシャル12
ロープーウェイ乗り場

フンシャル13
ロープーウェイ

フンシャル14
屋根の上を移動

フンシャル15
雨上がりの石畳

フンシャル16
市庁舎前

フンシャル17
イルミの準備

フンシャル18
工事中

フンシャル19
静かなヨットハーバー

フンシャル20
らくがき

フンシャル21
おいくら

フンシャル22
ミラおじさん

フンシャル23
テラス

フンシャル24
眺めのよい部屋

フンシャル82
宗教美術館1

フンシャル83
宗教美術館2

フンシャル84
宗教美術館3

フンシャル85
宗教美術館4

フンシャル86
宗教美術館5

フンシャル87
宗教美術館6

町の説明の前に・・・≪マデイラ島の豆知識コーナー≫

≪ポルトガルからマデイラ島までの距離≫

@ 「大西洋の真珠」と呼ばれるマデイラ島は総面積が約740平方キロ、 東西の長さは57キロで、南北が23キロ。
A 周辺にいくつかの島があり、50キロ離れたポルトサント島の面積は42平方キロ。 この二つの島以外は、無人島である。
ポルトガル本土とは、1000キロもの距離がある。
B 標高1000メートル級の険しい山が南北に走っているため、 南側は、常に乾燥していて、北側は雨が多い。
C ほぼ全島が断崖を伴う海岸で山頂から火山特有のスロープが走る。 人は、その上に住んでいるので道路はどこも斜面になっている。
D 気候に恵まれ、メキシコ湾流の影響を受けて年中暖かい亜熱帯気候に属する。

≪マデイラ島の地図≫

☆フンシャルの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
マデイラ島の南東に位置するフンシャルの町は、港に面した山の斜面に広がっている。
町の名はこの地にたくさんのフンショFuncho(ウイキョウ)が生えていたことに由来する。
メインストリートは、アリアガ通りである。
マデイラ島を再発見したザルコの像が海に向って立っている。
春にはジャカランダの花が満開になり、通りは紫色に染まる。

「ポー君の旅日記」 ☆ 大西洋の真珠・フンシャル ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・17≫
    === 第六章●マデイラ島フンシャル起点の旅@ === フンシャル1

          《ヨーロッパで大西洋の真珠と呼ばれるマデイラ島に行く》

 小雨舞う肌寒い11月3日(金)の早朝、宿のフロントで宿泊代を支払 う相棒がいた。『タクシーをお願いします』頷いた夜勤担当の青年は大学 生風だ。モーニングが取れないので『オレンジジュースもらえる?』と空 のペットボトルを相棒が差し出すと、青年は食堂に駈けこみ口元まで一杯 にして持ってきてくれた。当然、相棒から感謝の折り鶴が青年の手のひら に舞った。折り鶴を眺める青年の笑顔を残して宿を出た。  タクシーは小雨を突いて早朝のリベルダーデ通りを北上する。ポンバル 侯爵公園に立つポンバル侯爵の像を右折してリスボン空港に向かった。

 『ポー、オレンジジュース飲もうよ。機内持ちこみ禁止だから、没収され るだけだからさ、もったいなよ』  相棒はペットボトルの蓋をクルクル廻しながら言った。 ペットボトルは勿論のこと、化粧品や乳製品など器に入った液体は機内 持込禁止で没収だと日本を発つとき名古屋のセントレア(中部国際空港) で説明があった。  相棒が美味そうにゴクリゴクリと飲みだした。横顔のうしろの窓ガラス に小雨の粒が張りついて横に走っている。ぺットボトルを渡されポーも1 口飲む。何も入っていない胃袋に冷たいオレンジジュースが流れ込むのが 判る。
 『まだ半分も残っているぞ、ポー、もったいないよ』
 『この、1口がうまいんだ、もう、いい』
 『あー、また太ってしまう』
 もったいない、もったいないと、相棒は美味しそうに飲み乾した。 マデイラ島への出発2時間前にリスボン空港に着く。発着ボードを見た 相棒が何でよ、と吐いた。9時半発が10時45分発に変更だった。
 『あー、モーニング食べてこられたのにー!』

 「けいの豆日記ノート」
 飛行機の時間が変わること、よくあることだ。 遅れても、文句をいう人を見たことがない。 いってもしかたないことなのかもしれないが。 これは、飛行機に限らず、バスや列車でも同じことがいえる。 乗れるだけで、ラッキーで細かいことは気にしないのでしょう。 日本人は、まじめすぎなのかな。
 マデイラ島までの航空券は、ネットから予約した。 はじめて、パソコンのネットからチケットを買ったのだ。 最初は、航空券とホテルとセットになっているお得なチケットに申込しようかと考えた。 2泊3日なら、このセットでもよかったが、5泊することを考えると追加のホテル代が高くなり割高になる。 航空券も1日10本ほどあるが、時間によって値段が違っていた。 1日2本だけ2万円安い飛行機がある。 飛行機が違うのかわからないが、2万円の差は大きい。 1番安いチケットと安いホテル代でマデイラ島の旅をゲットすることができた。

 満席の飛行機は南下した。1時間半後、アフリカ大陸に近い(モロッコ 沖700km)ポルトガル領のマデイラ島が眼下に見え、滑走路を機体の 車輪がガ−アと噛んで止まった。こじんまりとした空港だった。 タラップを降りると11月だというのに真夏の太陽が待っていた。空は 真っ青だ。滑走路の背後は空に向かって民家が連なっている。  ヨーロッパ各地から暖かさを求めてマデイラ島に直行便でやって来た人 々で空港ロビーは賑わっていた。フンシャル空港は小さな国際空港だった。 日本人の姿は見あたらない。タクシー乗り場から潮が引くように人々は中 心都市フンシャルへ向かっていった。
 航空券を持っていれば無料で乗れるバスを待った。AEROBUS(空 港バス)と書かれた小奇麗な中型バスが来た。利用したのは大きな袋を持 ったおじさんと大きな旅行バックを持った相棒とポーの3人だけだった。 車窓の左手に蒼くて広い大西洋が開け、窓から涼しい海風が飛びこんで くる。木々の緑は輝き、空気は清々しく、気持ちは晴れ晴れだった。
 マデイラ島は東西57km、南北22km、平均温度は22度という温 暖なリゾート地。マデイラ島のマデイラとは木のこと。ローマ時代すでに この島の存在は知られていたが、1419年エンリケ航海王子が探検家ジ ョアン・ゴンサルヴェス・ザルコに命じ再発見され、ポルトガル領になった という。島は当時森林に覆われていたのでマデイラと名付けられたと聞く。 あのコロンブスはフンシャルで航海論を学んだらしい。現在マデイラ島の 人口は30万人弱。その中心都市がフンシャルだった。

 「けいの豆日記ノート」
リスボンを出る時は、雨だったのに、フンシャルに着くと晴れていた。 雲ひとつない晴天であった。 よかった。写真には、晴れていることが1番であった。
 とりあえず、空港バス乗り場まで行ってみることにした。 ホテルに泊まれば、送迎バス付きであった。 でも、安いペンサオンにはバスない。 空港バスは、2時間に1本くらいしかない。 時間があったので、空港の建物やまわりを見て回った。 バスが来ても時間が来るまで、バス停で止まっていた。 料金を聞くと、チケットを出すしぐさをする。 チケットを出すとそれを受け取り、料金はいらなかった。 ラッキーだった。 ちなみに後日、空港に帰るバス代は、一人5ユーロもした。

          《フンシャルの宿・ミラおじさんに会う》

 空港バスはフンシャルの海岸通りで止まった。小雨が降る肌寒いポルト ガルの首都リスボンからは1000kmもの距離があるフンシャルは、タ ンパンで半袖姿の観光客があふれ、海岸通りに並ぶ大きなレストランはど の店も人々の笑顔が弾け、その背後の紺碧の海にはヨットやクルーザーが 波を切り、街中を観光バスや市営バスが走りまわり活気にあふれていた。 海岸通りは、将に夏模様だった。
 大きな旅行バックふたつをバスから引きずり下ろし石畳の路上に立った。 日差しは強いがさらりとした空気にさわやかな海風が心地よい。フンシャ ルの町は海岸通りから山肌を白い建物が這うように青空の先の先まで折り 重なるように広大な高台に伸びているのが見えた。島民の8割が住んでい る都会フンシャルだった。

 ブレーキの音がした。黄色い車体のタクシーだった。大きな旅行バック を持っていればタクシーの運転手は見逃すわけがない。小太りの運転手は トランクを開け素早く旅行バックを積み始める。そして、何処まで行く? と聞く。その早業(はやわざ)に相棒の顔が笑っていた。
 『ミラ・ソルよ』 運転手は笑顔いっぱいに頷いた。愛想のいい顔だった がメーターを倒さず発車。それを見て相棒が『メーターを倒してよ!』と。 おじさんは満面笑顔で、はいはいと頷くも倒さない。狭い坂道を軽やか に抜け5分で宿に着いた。ミラ・ソルは2階建ての簡素な宿だった。
 おじさんは10ユーロだと言う。1600円だ。小心なポーが叫んだ。 日本語で『ボルな、舐めるな、バカヤロウ!』迫力が大切なのだ。
 8ユーロ(1380円)で手を打った。荷物代2個が別料金で取られる ので、まっいいか。世界の金持ちがやってくるヨーロッパ屈指のリゾート 地だ。鵜の目鷹の目で日々の生活を支えている人は何処にもいる。それは 許す。ケチケチ個人取材で来ている2人を乗せてしまった太っちょのおじ さん、運がなくてごめん。

 「けいの豆日記ノート」
 いつもだったら、タクシーには、乗らなかっただろう。 今回のマデイラ島の情報が少なく、地図に泊まる予定のミラ・ソルの場所が描いてなかった。 ガイド本のフンシャルの地図の外にあったからだ。 場所がわからないので、タクシーで行くしかなかった。 ネットの地図で調べようという知恵はこのときにはなかった。 タクシーに乗ったはいいが、すぐに着いた。 基本料金で行く距離であった。 帰りは、歩き決定だった。

 相棒がガイド本で探し当てた宿は〈ペンサオン・ミラ・ソル〉。一泊2 人で30ユーロ(4800円)だ。勿論モーニングつき。ちなみにフンシ ャルを代表する5つ星のレイズ・ホテルは一泊395〜630ユーロ(6 3200円〜100800円)。
 2階建ての白い壁の宿ミラ・ソルは狭い坂道の途中にあった。ここで5 泊することにしていた。扉を開けると一段高いところにフロントがあり、 背の高いがっちりした体格のおじさんが笑顔で迎えてくれた。
 「ケイコか?」第一声がこれだった。ファクスで予約しておいた、その ファクス用紙をヒラヒラさせながら。「本当に、ケイコが来たのか!日本 から!」 予約しておいて来ない人もいるようだ。それも、日本からこの 安宿に来る日本人も珍しいのかも知れない。

 重い旅行バックを主人と体格のよい女性が運んでくれた。2階ではなく 3階だった。『えっ、3階?』相棒がポーを見た。屋根裏部屋だから安い のかもしれないとポーはかえす。3階の部屋に案内され相棒は感嘆した。 この宿の最上階にあるただひと部屋だけのベランダ付きスイートルームに 主人は案内してくれたのだ。
 「ここがケイコの部屋だ!」と主人のおじさんは微笑んだ。  ベランダからフンシャルの港町が俯瞰で見えた。オレンジ色の屋根越し に世界を航行する豪華客船がフンシャル港に入航するのが見えた。
 『この部屋は屋根裏じゃないよ。特等の部屋だよ、ポー!』嬉しさをかみ 殺して相棒が吐く。
 『オブリガーダ!オブリガーダ!』相棒が主人にありがとう!を連発した。 満足そうな主人の顔が弾けて揺れた。主人の名を〈ミラおじさん〉と呼ぶ ことにした。(宿の名前のMIRAは希望、SOLは太陽のこと)

 「けいの豆日記ノート」
 1人でいっぱいの狭い階段を登ると部屋に着いた。 小さなベランダがある南向きの部屋だった。 日当たり抜群、洗濯物も干せそうだ。 海まで見渡せる景色はすてきだった。 こんないい場所をこの値段でいいのかと思うほどだった。

          《楽園の街フンシャルを散策する》

 ミラおじさんの笑顔に見送られ宿を出た。宿を真下から見ると2階にし か見えなかったが離れて見ると2階の上にとんがり帽子の屋根があった。 そこが3階の「ケイコの部屋」だった。 坂道を下ると小さなカフェがあり、入り口の椅子に座って「ボアタルデ」 とおばあさんが声をかけてくれた。『こんにちは!』と、ポーが返した。 おばあさんの方から声をかけてくるなんて初めてだ。太陽が1年中照り続 ける島のおばあさんは心も明るいのだろうか。相棒はカメラを向けていた。
 狭い路地の上空に突然宙を舞うゴンドラが屋根すれすれに降りて来た。 ロープウエイがあることを知った。路地を抜けると幅5mほどの川に出る。 2階建てのバスが目の前を通過した。オープンシートの2階に観光客が満 載だ。笑顔だらけのおばあさんやおじいさんの顔が多かった。太陽を求め て憧れのマデイラ島に年金をこつこつ貯めて来た北欧の観光客だろうか。 金持ちのアメリカ人の顔ではなかった。

 目抜き通りアリアガ大通りに出た。高さ10mもあろうかジャカランダ の並木道が緑の葉をトンネルにして太陽に照り輝いていた。ジャカランダ の花をはじめて見たのは初代ポルトガル国王が生まれた町〈ギラマンイス〉 だった。その時、桜かと思った。フンシャルでは4月から6月にかけて咲 き誇ると聞く。カテドラル(大聖堂)の前にある広場では大きなクリスマ スツリーの、赤と青の円錐形オブジェの飾り付け中に出会う。高さは10 mほどで底辺は直径5m強。照明が入れば凄いツリーだろうと思う。島に いる間に色鮮やかさを見たいものだ。

 カテドラルに入ると涼しさが足元から這い上がって来た。薄暗い広々と したドームの正面には大きな黄金色の祭壇が浮かび上がっている。外光が 入らない造りになっていた。15世紀末にキリスト騎士団によってポルト ガル本土以外で初めて造られたというカテドラルだった。  広場の周りにはレストランやカフェがあり、それぞれの店先にはオープ ンテラスが設けられ、生い茂るジャカランダの木蔭で観光客が昼下がりを 楽しんでいた。

 トリズモ(観光案内所)のマークが飛びこんできた。旅人のオアシスだ。 地図と資料がもらえるし、泊まれる宿まで親切に教えてくれる。トリズモ には美人が多く親切だった。今まで5年間の旅でどれほどお世話になった ことだろうか。60ヶ所は立ち寄り沢山の情報をもらった。長い黒髪に黒 い瞳が輝き微笑む。美人だ。お礼にあげた折鶴を見詰める姿は絵になった。 相棒のカメラが当然鳴っていた。

 「けいの豆日記ノート」
 トリズモは、とても便利な施設だと思う。 その土地の地図や資料がもらえることがうれしい。 広告など入っていない地図だ。 日本だと買わないといけないだろうなあ。
 南国の花の図鑑や関連した本も売っていた。 図鑑だけあって値段も高かったため、やめてしまった。 (日本に帰ってから、買っておけばよかったと後悔した。 日本では、南国の花の図鑑を探すことがむずかしかった。)
 バスの時刻表も売っていた。 時刻表は、必要だと思って買った。 移動は、バスしかないと思っていたので。(もちろんタクシーはあるが) うすいペラペラの時刻表で1ユーロくらいだったと思う。 だたでくれてもいいくらいだったが。

 トリズモの彼女が教えてくれた17世紀の修道院を 改造したというサン・フランシスコ酒蔵はすぐそばにあった。フンシャルで 一番古いワインロッジだという。なかなか入手困難なマデイラワインの宝 庫だ。薄暗い照明に浮かぶ店内の棚には何千本ものワインが並べられ、試 飲する人で賑わっていた。試飲したら買わなければならない雰囲気なので 飲んでみたいと思ったが無駄なお金を使えない撮影取材の旅だ。店内の撮 影だけをして店を出た。美味そうなワインの香りが鼻先に残った。

 資料によると16世紀の中頃からこの島に立ち寄る船は地酒を積みこみ 出航したという。酒に含まれていたミネラルなどが偶然船員の壊血病を防 いだらしい。その酒が赤道を通過すると味が変わり旨味が増した。赤道直 下の太陽の熱さと船の揺れで樽の酒が発酵したらしい。
 名品は偶然から生まれるものだ。 現在では50度の温熱器で6ヶ月ほど発酵させ、ブランデ ーを加え熟成させるという。マデイラワインは8年も寝かせワイン通の胃 袋に沁みこんでいく。ポーには咽喉越し経験がない。鼻先だけのマデイラ ワインだった。

 酒蔵を出るとアリアガ通りを挟んでサン・ローレンソ要塞がありその前 を西日を浴びて40人ほどの団体観光客が歩いてきた。一見して金持ちの お年より軍団だと判る。今日入港した豪華客船でやって来てのフンシャル 散策に違いない。フンシャルヨットハーバーの先に4つの豪華客船が停泊 していた。こんな風景は見たことがない。マデイラ島だからこその贅沢な 光景だった。愛知県知多市新舞子に住んで25年になるポーだが・・・・ ポーが住む新舞子の目の前に広がる伊勢湾を名古屋港に向かう1日に何百 という船舶が見られるけれど、豪華客船はたった1回目撃しただけだった。 だから目の前に展開した風景は豪華絢爛な光景であった。

 ピンクにオレンジが混ざった夕景色が斜面に建ち並ぶ家々の白い壁に溶 け込み別世界のフンシャルを描きだした。まるでパステル画を見ているよ うだ。
 海岸沿いの散歩道に出た。焼き栗を売る夫婦が煙の中にいた。炭火の上 の金網に栗を並べ、その上に陶器の蓋をして焼く。陶器の穴から煙りが噴 出して散歩道を夕日を浴びて流れる。その煙りと焼き栗の香りに客が引き こまれる。皮をはがして塩をつけて食べる。焼き栗というと甘栗のイメー ジが強いので初めて食べたときは戸惑ったものだ。ポルトガルのどの町に 行っても焼き栗売りに出会う。夕食のためのスーパーマーケットはトリズ モの美人に聞いていたのですぐわかった。

 「けいの豆日記ノート」
 どこの町に行っても、大きなスーパーマーケットはみるようになった。 メルカードというと市場だが、スーパーメルカードというとマーケットを指すらしい。 日本のように、スーパーらしい入口でないため、見過ごしてしまうことがよくある。 入口は、小さくて、中に入ると大きくなっているところが多い。 これも町の外観をそこなわないようにできているのだろうか。
 ワインが安いのは、もちろんだが、果物が安いのがいい。 バラ売りで買えるので、食べきれるだけ買うことができる。 ホテルに冷蔵庫がないので、その日の食べる分しか買うことができない。 切ってある果物は、冷やして売っている。 メロンの半分切りもラップがしていあり冷えている。 日本では、とても贅沢な食べ方なのでしたことがないが、メロン半分はうれしい。

 相棒が買った一覧だ。レタス1ヶ0.28、メロン半分1.26、オレンジ2ヶ0.50、 トマト2ヶ0.41、ケーキ1.81、菓子0.99、ヨーグルト2ヶ0.22、 水2リットル0.19、赤ワイン1本2.09ユーロ、計7.75ユーロ(1240円)。 サラダを山ように作り日本から持参のキューピーマヨネーズをたっぷり かけて食べた。334円の赤ワインはポーが飲み、大きな201円のメロ ンは相棒が一人で食べ尽くした。豪華な夕食であった。
    「ケイコの部屋」から夜景の港町を見た。豪華客船が点描画のような明り を放って暗い海に浮き上がって見える。その上空には満月が輝いていた。 神秘的なフンシャルの夜景をくれた〈ミラおじさん〉に感謝した。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2009年1月掲載

掲載済み関連写真===≪ポルトガル写真集≫2006年版旅日記
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